menu

栄華の夢 -Eiga no yume-

 浮世は夢の 夢ならぬ夢
芹沢鴨

?-文久三年九月一八日(1863.10.30)*


霜雪に 色よく花の魁て
散りても後に 匂う梅が香



新選組局長 芹沢鴨 (本名:木村継次)


 水戸藩出身。常陸国(現:茨城県)玉造の芹沢城主の後裔、芹沢貞幹の3男とも。
 玉造勢(のちの水戸天狗党)幹部として攘夷活動中に投獄、獄中で小指を食いちぎり、血で書きつけたこの句を牢の格子に貼ったとされている(従ってこの句は正確な意味での辞世の句ではない)。しかし、小島資料館館長の小島政孝氏によると、 芹沢は水戸の天狗(てんぐ)党に属していたというが、明確な資料はないという。
 文久二(1862)年、幕府募集の浪士組に参加し上洛。浪士組とは決別し京に留まり、同じく水戸藩出身で腹心の新見錦や近藤勇、土方歳三らと壬生浪士組を結成する。粗暴の荒さもあり、次第に近藤一派と対立し、文久三(1863)年9月、屯所である八木邸にて暗殺された。


インターネット上で芹沢鴨の半生について様々な記述がみられますが、管見の限り一次史料を提示・論拠としているものはないように思います(そのようなサイトを御存知の方は是非ご教示下さい)。彼の出生年、出自、幕府募集の浪士組に入るまでの経歴等については未だ不明な点が多く、今後の研究が望まれるところです。



*『日本大百科全書(ニッポニカ)』、『日本人名大辞典』では文久三年九月十日、『国史大辞典』によると同年九月十日に暗殺された、となっている。



参照:

  • 『国史大辞典』吉川弘文館、1979年-1997年
  • 『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、1994年
  • 『朝日日本歴史人物事典』、朝日新聞社、1994年
  • 『日本人名大辞典』講談社、2001年

 →NEXT
top